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2011/09/17

未来がクルマを不幸にする

~夢破れたスズキとVWの包括提携~
●暮れも押し迫った2009年の12月。互いの協議を重ねた末、ようやく締結を果たしたスズキ・VWの包括提携劇だった。
しかしスズキは先の9月12日、同社取締役会を経た上で「VWとの業務提携並びに相互資本関係を解消する」との報道発表を行うこととなった。
またスズキは、資本関係の完全な解消を実現するため、VWが議決権総数ベースで、19.89%を保有するスズキ株の買い取りをも表明している。

●これを受けたVW側では、スズキの現行株価が、提携当時の買い取り価格を3割程下回っていること。また今後の交渉を有利に進めるためもあってか、「スズキの株式は今後も保持し続けたいし、将来の協力関係にも大いに関心がある」と語っている。
思えば、そもそもこの両社は、包括提携にあたって、スズキ側は「VWから環境技術の提供を望んでいた」し、一方でVW側はスズキを通して「アジア圏の新興国市場において、VWグループの影響力拡大」に期待を賭けていた。

~不可能となったメーカー間の棲み分け~
●しかし先頃、スズキが自社の新型モデルに、フィアット製ディーゼルエンジンの搭載を決めたことに対してVWは「VWグループ外からのエンジン調達は提携契約に違反する」と表明。
スズキの原山保人副社長は「VWはスズキへの影響力を拡大しようとしている」と述べ、常に大資本とは異なる道を選び続けてきたスズキにとって、VWとの長すぎるハネムーン期間の段階で、互いの思惑違いが大きく鮮明化してしまった

●一方、VWの本拠である欧州地域では、ダイムラーとルノーの提携拡大や、渦中のVWとポルシェ・ホールディングSEとの経営統合が破談
そしてVWによるプットオプション(設定時点の市場価格に関係なく特定価格で売る権利)並びにコールオプション(設定期日までに市場価格に関係なく特定価格で買う権利)の行使によるポルシェAGの買収話が持ち上がっている
もはや自動車メーカー相互の住み分けができなくなってきた欧州の自動車業界は、景気見通しの不透明感もあって投資顧問会社も巻き込んだビジネスゲームの様相があらわになっている。

~スズキが拘る自主独自路線の原点~
●そんな過酷な世界市場で、自動車メーカーとしての自主独立を求め続けているスズキの原点はどこにあるのか。
それは大工出身の豊田佐吉と並び賞される程の才を持つ鈴木道雄が、地場浜松の大工棟梁へ弟子入りした後に、機(はた)大工に転向して鈴木式織機を開発。明治42(1909)年に、静岡県浜名郡天神町村で「鈴木式織機製作所」を創業したのが皮切りだ。

●当時「サロン織機」と呼ばれていた鈴木式織機製作所の機織機は、豊田自動織機が大資本の紡績会社向けの白生地用機織機を開発・供給していた。
一方で道雄は、家内工場向けの先染用機織機として開発・提供していた。つまり鈴木式織機製作所は、強敵の豊田自動織機とはあえて直接対峙しない独自戦略を選んだのである。

~ナンバーワンではなくオンリーワン~
●その後、鈴木式織機製作所は、大正9(1920)年に鈴木式織機株式会社として資本金50万円で法人に。昭和24(1949)年には東京、大阪、名古屋各証券取引所に株式を上場。
そして世の中が軍事需要に傾倒していく戦前の段階で自動車の研究開発を着手。敗戦後は軍事工場からの転換企業が、文字通り手探りで次なる事業ステージを模索する中、2サイクル30ccのエンジン「アトム号」を試作した。

●これをベースに昭和27(1952)年に「自転車チェーンを直接駆動する構造」「ダブル・スプロケット・ホイルを備える」など、当時人気のホンダ赤カブ号には無かった独自機構を組み込んだ2サイクル36ccの自転車補助エンジン「パワーフリー号」を発表した。

~地場の技術者が育んだ個性と資質~
●昭和29(1954)年には、国産車初のFF車でラック・アンド・ピニオンのステアリングギアを持つ「スズライト」の開発に成功。同車のリリースを契機に今に至る軽自動車王国の礎を築いた。
翌昭和30(1955)年の試作3号でピックアップ、セダン、ライトバンと3種のボディも輩出。ただ販売開始当時は月産3~4台の生産規模しかなく、また1台生産するたびに10万円の赤字が発生したという。

●実績が必ずしも企業収益に直結しなかったこの時期、スズキを支えた企業経営陣は、地味で一生懸命さだけが取り柄の地場工業学校出身者たちであり、それ故に当時から官僚的な高級技術者たちが絶対多数を占めていた日産とは対照的な社風が形成されてきた。

~ひとりの拘り、地域の資質、モノづくりへの想い~
●しかしたとえ独自戦略を信じる経営陣や上司が命令したとしても、現場の技術者にモチベーションがなければ、持ち前の集中力も持続する訳がない。
特に多数のメーカーがひしめく自動車王国の日本において、大資本を追う立場のスズキは、開発コストの圧縮でも「極限」を求められる立場だ

●それでもスズキが世界に対して結果を残してきたのは、常に独自戦略を貫いてきた鈴木道雄の拘りが原点にある。それは浜松という土地が育んだ楽観的で愛すべき前向きの資質といってもいい。
モノ造り企業が根を下ろす地域の独自性。それは日本のどの地方にも存在する。また国というのは、そうした地方の集まりでもある。
そうした個性の違いを大切に想い、個々の自動車メーカーが受け継いできた「拘り」を知ってクルマを選ぶこと。いささか懐古趣味かも知れないのだが、そんな愉しみが、今後もできる限り永く続いて欲しいと思う。

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