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2006/08/06

孤高の経営理論でクルマの未来を紡ぐスズキ

国際自動車競争に生まれつつある新潮流
●米国誌ビジネスウイークによると、IT企業の新王者と目されているグーグル(24位)を尻目に日本のトヨタが約279億ドル(約3兆2400億円)のブランド価値を獲得。華やかな国際ブランド番付で、7位の地位を獲得した。
一方、国内自動車メーカーのなかにあって、軽自動車造りにこだわり続け、地道な企業経営を積み重ねたスズキは、今年4〜6月期の営業益で前年比18%増の340億円、軽自動車シェア3割超をマーク。売上高でも19.8%増の7638億円と、2003年来の好成績を記録している。

軽自動車造りだけでないスズキの実力
●ところがスズキが過去30年間、一度も首位を明け渡したことがない国内軽自動車市場は飽和状態だから、大幅増が望めるレベルではない。
つまりスズキが好成績をあげた背景は、欧米・中国・インドなど、海外での飛躍的な販売増によるものなのである。同社はエスクードとスイフトに加え、ニューカマーSX4の世界戦略車を配し、国際ブランドとして確固たる地位を掴みつつあるのだ。
そんなスズキは、かつてのバブル景気のなかでも「身の丈にあった企業経営」を信条に、決して高級車路線には走らず、役員達は皆勧んで自社のコンパクトカーに乗っていた。

国際的な輸出企業として戦前から君臨
●そんなスズキの歴史は1909年、創業者の鈴木道雄氏が「鈴木式織機製作所」を浜松に創業したことに始まる。1920年に鈴木式織機として法人設立を果たした同社は、戦前の早い段階で東南アジアへ織機を輸出する国際メーカーでもあった。
自動車に関する研究は1936年頃からで、戦後に補助エンジン付き自転車「パワーフリー号」が市場進出の切っ掛けとなった。その後の1954年に「スズキ自動車工業」に社名を改称。翌年、軽四輪車「スズライト」で自動車生産を開始。1979年に発表した「アルト」の爆発的ヒットで、名実ともに日本を代表する軽自動車ブランドの地位を確立した。現在は二輪車やマリン事業の他、住宅部門も抱え、売上構成比は四輪車78.2%、二輪車19%、その他2.6%となっている。

巨大企業も羨むスズキの活力と社風
●これまでスズキが、二輪レースで構築したブランドイメージは北米・欧州を中心にアジア・発展途上国において絶大だ。
ハンガリーでは、フィアットと共同体制で新型SUVを開発。インドでは、ディーゼルエンジン開発の技術供与をアダムオペルやフィアットから導入。ASEAN各国では、世界戦略車APVを生産し中近東・中南米・南アフリカへ輸出するなど、生産拠点も世界各国でおよそ50にも及んでいる。
1981年には、スズキのクルマ造りに魅せられたGMがラブコール。「クジラとイワシの提携」と揶揄され「いずれは飲み込まれてしまう」と囁かれた資本提携劇は自動車業界に大きな話題を提供したが、その結果は大方の予想を裏切るものとなった。

オイルピーク時代に勝ち残る資質とは
●というのは1986年、カナダでGMとの合弁会社を介して年間10万台規模の現地工場を設立。さらには南米に積極進出を図るなど、まさに巨大メーカーと対等の関係に終始したのだ。
1990年には創立70周年を迎え「スズキ」に改称した同社。そもそも創業以来赤字を出したことのない同社の経営姿勢は明快だ。無駄を嫌う社是は首尾一貫している。筆者の知るところ、自動車製造に関わるコスト管理体制で、スズキに並ぶ会社はこの地球上に存在しない。コストダウンにかける意気込みは、事務方である企業広報のオフィスにも及ぶから、まさにそれは世界一と言っていい。
思えば昨年、ケニア出身のワンガリ・マータイさんから、日本語には「もったいない」という言葉があることを改めて教えられた日本。
いままでと同じペースでエネルギーを使い続ければ、いずれ厳しい現実に直面する日がくる。しかしこれまでの消費神話・成長神話を方向転換すれば、未来の姿は大きく変わる。それはオイルピークを迎えた時代に相応しいクルマ選び、ライフスタイル選びに繋がっていくのだろう。

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