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2005/07/27

日産ブランドの名門再興劇と積み残された課題

●低迷し続けていた日産自動車復活の起爆剤となった「日産リバイバルプラン」、2002年4月から始まった「日産180」計画、そして2004年4月に発表された「日産バリューアッププラン」と現在、順調に業績改善を達成しつつある同社は、今後、ディーラー網再編や海外事業の展開策など、名門自動車メーカーとしての本格復活を証明できるかどうかという総決算の時期を迎えようとしている。

●そのなかで同社は目下、積極的に特許ビジネス確立の途を模索している。具体的には米国のコンサルタント会社と契約関係を結び、工業・技術分野における自社特許の販売やライセンス供与の事業化を本格推進していく意向という。
ちなみに米国ではこうした特許ビジネスに伴う市場取引が活発に展開されており、宇宙開発に至るまで多彩な技術資産を持つ日産自動車だけにそこに新たな収益源確保を見い出したようだ。

●一方肝心の自動車事業体制は、現在過渡期にある国内2系列、およそ3100拠点の販売店舗網。そして九州・追浜・栃木など4県に点在する5つの自動車工場に加え、海外17カ国でも21の生産拠点を有している。自動車以外でも船舶やフォークリフトの生産・販売を手掛けているものの、実際には総売り上げの99.5%を自動車事業で稼ぎ出すという生粋のカーメーカーであることに変わりはない。

●そんな同社は、1914年から脱兎(ダット)号ことDAT CARを生産していた「快進社」をそのルーツに持ち、実に100年に迫る歴史を誇っている。また日産自動車という現社名の由来から辿ったとしても「日本産業」と「戸畑鋳物」の共同出資で、1933年に設立された「自動車製造」にまでそのルーツを遡ることが可能だ。

●また現在、本業に据える自動車の大量生産に関わる源流を探し当ててみると、その自動車製造が設立翌年の改称で日産自動車となった後に、出資元の戸畑鋳物自動車部が、大阪の「ダット自動車製造」から生産工場を買収。さらに1935年に新設した横浜工場の稼働を契機に、日本おいて自動車の大量生産体制を確立させている。

●その後1952年に英国・オースチンと技術提携。1958年には乗用車の対米輸出を開始。さらに1966年にはスカイラインなど稀代の名車を配していた「プリンス自工」を合併・吸収するなど、日産自動車というブランドは、常に国内産業の重要な場面で、飽くなき高度化を目指していく日本経済の重要な牽引役を演じてきた。

●しかしそんな高度成長期におけるトヨタ自動車との自動車販売競争の激化により、1991年度から赤字決算を連続して計上するようになる。1999年度は連結で6843億円・単独でも7900億円と、日本企業として過去最悪の赤字を出したことを契機に自主再建の道を断念。ルノーの出資を受け入れ、カルロス・ゴーン氏に日産自動車の経営全権を委ねることとなった。

●ゴーン氏は早速、就任早々日産自動車グループの14%にあたる2万100人の関連社員を削減した他、生産5工場閉鎖や購買費の圧縮を柱とした先の日産リバイバルプランを断行。自身を含む全役員の退陣を賭けて2000年度の黒字化を確約した。
これが社内の中堅・若手社員に受け入れられ、早くも就任翌年度に連結3310億円。単独でも1874億円という黒字化を達成している。

●また日産180計画やバューアッププランなど事業刷新の象徴として、来る2010年までに日産自動車の世界本社と日本事業関連など企業の主要機能を、同社経営陣が永らくこだわり続けていた東銀座の地から、神奈川県横浜市の「みなとみらい21地区」に移転させることも決定している。

●海外戦略ではインフィニティの世界展開に加えて、中国・東風汽車公司との提携、広州での新工場操業、現地への乗用車開発センターの設置などの事業強化策を通じて、約1兆円の総売上・約1000億円の営業利益を目指している。加えて、日産モトール・イベリカ社への4億ユーロの投資を皮切りに欧州へも積極進出を果たしている。

●ただそもそも日産180計画は「新車販売台数100万台増」「連結営業利益率8%」「負債ゼロ」の3つの目標を掲げ、傘下の部品メーカーに15%のコストダウンを通達。日産バリューアッププランでは、2007年度末までに世界市場で年販420万台に加え、高い営業利益率を維持するため投下資本利益率20%以上の達成を目指しているもの。

●つまりそれはいずれも部分的な開発投資や経費を削減し、最も利益率の高い製品やサービスに事業資本の絞り込みを行っていくことを意味している。
事実、研究開発部門における一時的な資金圧縮の影響下で、日産自動車の同領域における人材不足やポテンシャル低下は未だ解消されていない。

●つまり企業をよりスリムな事業体制にすることで、資金流動の激しい株式市場において株主に高い配当を還元したこと。あるいは極めて短期の間に株主利益を押し上げたという実績をメディアが評価。それが永らくデフレであえぎ続けていた財界の賞賛を浴びたということに過ぎない。

●残念ながら大規模な製品開発には大きな資本投下と永い時間が必要であり、そのなかで社員の夢が育まれ、モチベーションが長期に亘って高められこと。また消費者にとってより安価で有益な製品造りを行うということは、短期的な株価上昇とは別の長い目で見た場合、株主利益の確保との厳しい鬩ぎ合いが生まれてくる可能性がある。

●丁度、海の向こうの英国では、MGローバーの破綻で同国最後の自動車メーカーの灯が消えるという郷愁的なメディア報道が行われた。けれども現代、我々が社会生活上で様々な恩恵に浴している資本家中心の経済理論というのは、ある意味、グローバリゼーションや規制緩和を後押しする弱肉強食の欧米世界での理論でもある。
そのなかで国内名門企業である日産自動車がこの先どこ向かうのか。その行方に日本の新しい未来社会の姿が投影されているように思えてならない。

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