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2005/07/28

自動車帝国GMの源流(キャディラック編)

●2005年もJ.D.パワーASIAが発表した「米国自動車サービス満足度調査」で、高級イメージで押しまくるLexusなどの外国勢を蹴散らし、Lincolnに次ぐ2位を固めた「Cadillac」。そんなキャディラックは、GMが自他共に認め、自動車の世界を代表する最高級ブランドのひとつである。

●ライバルと目されるブランドは欧州の老舗ブランドの他、同じ米国では双璧を成すフォードの「Lincoln」があるが、実はこのリンカーンは先のビュイックと似た生い立ちを持っている。それは重税に喘いでいたリンカーン社をヘンリー・フォードが1922年に買収。これによりフォードグループの一員になった経緯があるからだ。

●一方キャディラックは、1920年代に馬車事業として高い成功を収めた「ビリー・デュラント」と「J.ダラス・ドート」のコンビが次世代を狙って創設した、新興自動車メーカーのジェネラル・モータースが、1909年に同社の最高級車として据えた栄えあるブランド名である。

●さてそんなキャディラックというクルマは、そもそも1900年代初頭に栄華を極めた「オールズ・モーター・ワークス」に長年、エンジン制作者として参加していた「ヘンリー・リーランド」なる人物が創り出した自動車ブランドがルーツとなっている。

●このヘンリー・リーランドがキャディラックを売り出したのは1902年のこと。
彼のクルマは先鋭的なイメージと華のあるスタイリングがウリで、初代モデルは1903年に造られた「キャディラック・モデルA」というクルマだ。同車は当時の自動車ファンに絶大な人気を博していた。

●しかしこのクルマ、何故か同時期のフォード車とは瓜ふたつだった。
ただそれもそのハズで、元電気技師でもあり、気鋭の自動車技術者でもあったヘンリー・フォードは、自己のブランド車を造る一方で、ヘンリー・リーランドのブランド、キャディラックのお抱え設計者としても精力的に活動していたからである。

●つまり今では米国自動車ブランドの双璧を成すGM社のキャディラックの開発に、ライバルメーカーの創業者であるヘンリー・フォードが関わっていた訳で、アメリカのクルマ創世期はそれだけギョーカイが狭かったコトがよく判る。
ちなみにキャディラックは1914年、他車に先駆けていち早くセルフスターターを採用。1916年にはキャディラックV8を駆る「アーウィン・キャノンボール・ベイカー」という人物が大陸横断を7日半で実現するなど、現在のプレステージ然としたキャラクターとは若干食い違いがある。

●これは当時のキャディラックが、今のようなオジサマ車御用達ブランドではなかったからで、今や米国車の定番ユニットとして知られるV8エンジンもキャデラックが1920年代に流行の先鞭をつけたもので、1950年代にテールフィンブームのきっかけを作ったのも同じくキャデラックだった。

●常に米国自動車業界に新しい流行を生み出す当時のキャディラックには、先駆者としての若さと輝きがあった。だからこそ株式買収で次々と他の競合を飲み込んでいったジェネラル・モータースも、キャディラック社だけは唯一440万ドルのキャッシュで買い取るという別格的な扱いをしている。
それだけ同ブランドには米国を代表する伝統と栄冠があり、そしていつまでも色褪せない華のあるクルマとして扱われているのである。

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