2009/03/23

次なる100年目への胎動が始まる

〜自動車業界がようやくITを語り始めた〜

●テレマティクスなどを利用し、クルマと外界をつなぐ高度道路交通システム。またクルマそのものの制御回路を無線化するバイワイヤ技術。
実は自動車業界において、ハードウエアと情報技術との融合に取り組んできた歴史は意外に旧く、1980年代からのASV(AdvancedSafetyVehicle)構想など、他の工業製品に先駆けて語られてきた。

●それから30年余りが経った今日。世界の自動車メーカーは「夢のクルマ造り」よりも、その間、事業体制の国際化に伴う激しいマーケットシェア争奪戦を繰り広げてきた経緯から、クルマの劇的な進化を心待ちにしていたオーナードライバーたちは、PCの世界で大きく進化を見せた情報技術の影響を、クルマ社会ではあまり実感できないまま新世紀を迎えている。

〜クルマが基幹システムにOSを求め始めた〜

●その流れに新たな変化が訪れたのは、昨年初頭から始まった原油価格の高騰と、それを追いかけるように同年晩秋にやってきた米国発の金融クライシスである。
これをきっかけに、日本ではPlug-inHybridCar(PHEV)の実用化に拍車が掛かり、米国ではPHEV開発を一気に飛び越えて、Electric Vehicleの製品化を推し進める構えだ。これにより、ようやくクルマの世界にも、自動車全域の統合制御を可能とする本格的なOperatingSystem(OS)を求める時代がやってきた。

●現実には、現行車1台あたりにおいても、ワイパー機能やブレーキアシスト機能、IDチップのコード照会を行うイモビライザ機能、エアバック等の走行制御や、現在の自動車では心臓部にあたるエンジン制御など、様々な機能領域でマイクロプロセッサと入出力モジュールで組み立てられたElectronicControlUnit(ECU)と呼ばれる制御用コンピュータが組み込まれている。
しかし今後はクルマの運動性能や環境性能、安全性能の実現。さらに、より低環境負荷へ貢献できる動力システムを実現するため、近未来のクルマでは1台あたり100個を優に超えるECUの搭載が必要になると言われている。

〜もはやガソリンだけでクルマは走らない〜

●このように1台のクルマに多くのECUが搭載していくようになると、ひとつの動作だけでも複数のECU間を協調制御していく必要が出てくる。つまり自動車全体のシステムをより複雑かつ統合的に制御していけるOSの存在が必要不可欠になるのである。
加えてECUそのものの数が加速度的に増えていくということは、製造コストやそもそもECU自体の設置スペース上の問題も発生する。したがって複数の機能をひとつのECUで実現していくことも確実に求められるようになるだろう。

●特にクルマは、天候や乗車定員、速度や走行部品の摩耗など、走行条件が複雑かつ場当たり的に変化するため、実走行データに臨機応変に対応していけるソフトウェアプログラムの高い柔軟性が欠かせない。
また今後、自動車開発は旅行や買い物など、乗車1回あたりの走行距離の違いや利用ニーズの多様化に伴い、多品種・少量生産対応が車両開発および販売のマストスタイルになってきているため、組み込み部品の変更や、プログラムの置き換え上、優位かつ容易なOSの利用は避けては通れない。

〜プログラムがクルマ社会を変える時代に〜

●思えば自動車創世記の1800年代には、クルマの適切な動力源として、蒸気や電気など様々なパワーユニットが試され、その結果、1886年にドイツのKarlFriedrichBenzがガソリン自動車の開発に成功。それを追いかけるように米国のHenryFordが「Ford ModelT」の生産を開始(1908年)。以来、内燃機関をベースにした乗り物の歴史が幕を開けてから今年は丁度100年の節目を迎えている。

●クルマ社会は内燃機関をベースに、メカニズムのすり合わせ技術を育んだ時代から、電気を主動力としたプログラム技術が主役となる自動車の時代へと移るのか。2000年台という新たな世紀を迎えて8年目の今年。自動車技術の世界は、ここにきて大きな時代の変革期を迎えているのかも知れない。

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2008/04/27

自動車環境の変革が世界を救う鍵になる

〜リアルな現実として浮上するpeak Oil〜
●世界各国に点在する生産ラインから、1台造られる毎に90barrel(1バレルが約159リットルに相当)の石油を消費する自動車。
それが年間4000万台単位(地球規模)のペースで増え続け、世界の自動車保有台数では、遂に9億の大台に乗るまでになってしまった
その一方で、石油の供給不足感によって、身近な食品や生活物資が相次いで高騰。庶民生活のなかでは日々ガソリン価格に気遣い、エネルギーの消費量を倹約していくことが、もはやごくあたりまえのことになってきている。

●そうしたなか、これまでひたすら石油を消費してきた自動車の世界にも、やっと変革の波が見え始めている
自動車メーカー各社は、米国の地質学者ハバート(M. King Hubbert)氏が1950年代に唱え、早くも80年代にその正当性が立証されていた「ピークオイル(peak Oil)論」を、ようやく重く受け止め始めたのである。

〜エコカーの本命を巡る駆け引き〜
●目下トヨタ自動車は、兵庫県佐用町のJASRI(高輝度光科学研究センター)での放射光実験に対して積極的な投資をおこなっている。
これは巨大なリング状の構造物の中で電子を走らせ、これに磁力を与えて放射光を作り出すもの。
放射光は物質特性や微細構造を解析する能力を持ち、燃料電池車等の装置開発の進展を促す役割を担う。

●また日産自動車は、かつて富士重工業と共同で蓄電池開発を進めていたNECと共同研究体制を確立。
「重量物を瞬発的に動かす」という過去の家電系電源開発では課せられなかった命題達成を目指して、新たな蓄電池研究に邁進中である。
三菱電機も、実用EVの先駆けとなるiMiEVの市販化に向けて、一般道路環境での本格テスト運用を繰り返している。
また海外では、GMが取り組む燃料電池車プロジェクトや、BMWの水素エンジン開発だけなく、スーパースポーツカーメーカーであるポルシェ社もハイブリッド車のリリースを間近に控えている。

〜新たなエコ技術がさらなる石油消費を呼ぶ〜
●しかし肝心の次世代車を動かすエネルギー供給の大転換については、お世辞にも「進んでいる」とは云えない。
ただこれもある意味それもやむなしではある。
というのは人類は、この地球の盟主となって以降も最近まで、数百万年もの間は森林から得た燃焼エネルギーを細々と使い続けて生命をつないできた。
ところが産業革命を迎えてからは、地下に退席する石炭や採掘石油を使い始め早100年超の歴史を持つに至っているからだ。このためもはや化石エネルギーの恩恵は、人類の生活圏を広範囲に覆い尽くしている
それだけに石油浪費に麻痺してしまった社会構造を大きく変えること
自体、今では大変な障壁になってしまっているからだ。

●加えて今後、日本における次世代エネルギー構想の一翼を担う燃料電車開発では、すでに車両側の障壁の多くが取り除かれているのだが、今は交通インフラの大転換を促すためのエネルギー供給施設整備など、多くのインフラ環境の進展が社会発展の大きな足枷となり始めている。
こうしたことから、個人的には大変残念ではあるのだが、燃料電池車が日本の街を颯爽と走り始めるまでには、「まだまだ数十年単位の期間が必要」というのが国内自動車業界における率直な実態感である。

〜環境先進国の覇権は意外な国へ〜
●そもそも仮に石油を主力エネルギーとする今の自動車を直ちに打ち捨てて、新たな低公害車を再生産するとしたところで、その分は社会インフラの現状消費に追加されるエネルギーとして消化される。つまり社会環境の大転換をおこなうには、その気本整備のため新エネルギー消費が必要になるだろう。
しかし現時点で、わずか20パーセントのエネルギー自給率しかない日本は、1970年代にオイルショックで手痛い打撃を受けたのにも関わらず(1973年に石油供給の6〜9%が一時的に減少)、今日も石油原産国の厚意に頼り切っている。けれども、もはや今のOPECは中東の未来の行方こそ一番の関心事であり、他国に対する石油生産調整の余力などない。

●そんな中東諸国のひとつであるアブダビ首長国では、1兆6000億円を政府が投資し、太陽光発電や風力発電などの自然エネルギー源だけで町作りをおこなう未来都市研究「MASDAR(マスダール)」計画を打ち出している。
このような未来造りには、壮大なプランと莫大な経済投資を必要とするのだが、彼の地には社会を強力に牽引していく識者達に国を憂う深い思想があるのだろう。

〜一次エネルギーとは無縁ではない次世代動力〜
●そもそも元を正せば、水素も結局、石油などの一次エネルギーとは無縁ではいられない。
それなのに燃料電池のエネルギー源である水素を「一体何から造るのか」というテーマが、日本のマスコミ報道からは綺麗に欠落してしまっている。
すべてのエネルギー環境について、Energy Profit Ratio(エネルギー収支比)がどうなっているのかをまずは考えなければならない。

●石油価格がより高額へと跳ね上がった後の生活をどうしていくのかを考えること。
それは、化石燃料が支えてきた社会に限界が見え始めているからこそ、夢の動力源開発よりも逼迫した問題である。
財団法人石油情報センターによると、未来の石油可採年数はあと40年余りであるとしているが、新規油田の発見や回収率向上などの技術革新で可採年数の増加も期待されるという。

〜経済の縮小を放置する日本の指導者達〜
●しかし例え未知なる新油田であっても、採掘すれば、埋蔵量の半分を過ぎたあたりから生産量は減少し、初期と同量の石油を採るためには多くコストが掛かるようになる。
加えて世界で石油の消費拡大が続けば、枯渇はやはり時間の問題である。
むしろそれよりも早くに価格の高騰が始まるだろうし、これまで以上に石油が高騰し始めたら、多くの人々にとって現在の自動車は手の届かないものになり、輸送費用が高額になるため庶民の食生活はおろか世界経済すらも縮小に転ずるだろう。

●もともと安価だった石油による大量生産、大量消費、大量廃棄システムは、市民の生活維持というよりも生産者を富ませるためのものであり、石油が安価でなくなった途端に同システムは機能しなくなる可能性が高い。
なぜなら、未来の代替エネルギーと目される原子力の原料であるウランも無限の埋蔵物ではないし、水素、風力、太陽光、水力、海洋温度差、メタンハイドレート、オイルサンド、オイルシェールなどいずれにも短所があり、現在の石油に取って代わるには数多くの関門があるからだ。

〜地球温暖化よりもエネルギー問題を解決せよ〜
●ゆえに現代日本にとって輸送エネルギーの削減は急務だ。
これは誰もがぼんやりした危機感を抱く地球温暖化よりも、恐ろしくリアルな悪夢である。
それなのに再生可能なエネルギー資源に対する政府の取り組みは遅々として進まずその規模はとても小さい。
一方で地球温暖化問題を通して近年活況を極める排出権取引は、二酸化炭素の地中や海洋投棄と同じく、地球全体で二酸化炭素そのものをたらい回しにしているだけのマネーゲームに過ぎず、むしろエネルギー問題は人類生存上、待った無しの課題だ。

●しかるに日本政府は、国民がひたすらエネルギーを消費することで、生産者に短期的な利益をもたらす現システムを一向に変える気がないようにも映る。
例えば現代の日本は食糧自給率40%なのだが、こうしている今も、エネルギーのひとつと云える資源の大半を捨てることで、経済システムを維持し続けているのだが、こんなことで本当に日本は生き残れるのだろうか。
京都議定書における国際政治力の無さや、論理の欠如が、国際的に日本の立場をより窮地に追い詰めているなか、現実には食料資源すらコントロールできない国内状況が、今日も改善される気配すらない。

〜脱石油社会を迎えてしまったからには〜
●先の米国の地質学者ハバート氏の理論に沿って、2006年5月に経済産業省が公表した「新・国家エネルギー戦略」では、石油生産のピークに関する見通しとして最も悲観的なケース(究極可採埋蔵量=2兆3000億バレル)でのpeak Oilは2015年前後。標準的なケース(同、約3兆2000億バレル)で2030年前後。楽観的なケース(同、3兆8000億バレル)で2035年前後としている。

●一方で石油生産量を決めるのは総資源量ではなく、その時々の需要と供給の関係であり、需要に対して供給が不足すれば、新たな投資と技術開発で供給が増加するのだから、オイルピークは有り得ないという意見もある。
しかしハバート曲線は、むしろ悲観的な理論としては捉えずに、長い時間かけて徐々にエネルギー源が代替される客観的な予測であると考えたいものだ。
だからこの曲線が正しいかを論ずるより、資源の需要と供給の関係に対して人間がどんな選択すべきかを問いたいのだ。

〜今こそpeak Oilの本当の意味を考えたい〜
●それは「資源の脱浪費」であり、現代社会の膨張指向、経済成長指向を止めることだ。
かつて欧米が非持続的なフロンティア・スピリットを価値観に掲げ、自然破壊的な文明を構築したなかで、日本は江戸時代という完全と云えないが、理想に近いエコロジカルな社会を作り上げている。

●当時として世界で類を見ない巨大な100万都市であった江戸は、美しい自然を持ち、国際的に類を見ない清潔な大都会だった。
日本や日本人にはそうした社会を作り上げて世界を救える資質を秘めているのである。
幸い多くの自動車ユーザーは、ガソリンの高騰で浪費社会の限界を悟り始めた。
資源が減退期にあるという現実認識の中で、今後、人として何をなすべきか。脱石油時代を迎えてしまった今、その論点は資源の有り無しではなく、残された「時間」にその問題を解く鍵がある。
未来を切り拓けるか、敢えなく終焉を迎えてしまうのかは、現代を生きる人間の対応次第である。

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2007/10/01

F-1カーがハイブリッド車になる日

〜自動車がもたらした自由の実感〜
●今からわずか100年余り前の19世紀終盤。我々人類は、「移動の自由がない」地域中心の閉じられた社会環境で過ごしていた。
しかし自動車が誕生したことで、有史以来続いた固定概念が壊れ、クルマはヒトが自由に移動することを日常にしてしまった。歴史的には、このことが人間社会をムラ社会主導から都市集中型へとへ変革させる切っ掛けになったと言われている。
それは産業革命や社会変革よりも、19世紀の人々に「自由の実感」を与えた出来事だったに違いない。

●以来、自動車は「単に人間を運ぶ役割」を超える持ち物として受け入れられた。
そしてそれは、「これ」といったエネルギー資源持たないどころか、目立った鉱物資源すら持っていなかった東アジアの島国・日本の高度経済成長を支えるなど、今にして思えば20世紀において人類の可能性を無限にしてくれる存在であったのだと思う。

〜何事も過ぎたるは及ばざるが如し〜
●しかし21世紀を迎え、自動車は現代潮流の中で大きな転換期を迎える。
その切っ掛けは、1972年に発足したローマクラブがある。
それは「環境破壊」という言葉を世界に知らしめることとなった出来事であり、この頃から自動車の排出ガスに起因する大気汚染や地球温暖化の問題が明らかになり始めてきた。
まさしくそれは増殖し過ぎたゆえの「過ぎたるは及ばざる如し」で、わずか70年目にして人間を自由にしてくれたハズの自動車は「人間を苦しめるもの」へと変わり始めたのである。

●以来40年余りを迎えつつある今日、それでも自動車は、世界各地の途上国の経済伸張を下支えしており、例えば遅れてきた大国・中国を例に取ると同国の物流面を支える自動車輸送の消費エネルギーは巨大だ。
具体的には国内ガソリン総生産量換算の8割以上を。ディーゼルオイルの4割以上を日夜消費し続けているのである。

〜自動車が国家に経済損出をもたらす〜
●お陰で北京や上海、広州など大都市圏では、水や大気の汚染問題が深刻化。
特にオリンピック熱が高まる北京では、自動車の増加率が年50〜80%に到達。交通渋滞による国家の経済的損失は年間60億元、年間国内総生産の2%にも達している

●そんな自動車業界内では、デンソーやボッシュを筆頭とする電子部品メーカー各社が次世代自動車造りの主導権争いを目指し広州市などの中国本土に進出。
一方で、経営力の乏しい自動車メーカーは投資ファンドによる企業買収先として捉えられ、格好のマネーゲームの対象になり始めている。

〜ウエル・ツー・ホイールという物差し〜
●ちなみに化石燃料や原子力・水力など、自動車燃料の精製にかかるエネルギーを含む動力変換効率を、近頃の技術者は「ウエル・ツー・ホイール」と呼んでいる。
このウエル・ツー・ホイールとは、自動車が設計されて工場で作られ、最終的に走る迄で排出するCO2排出量に関わるもの。
それは搭載されるバッテリー生産に掛かる環境負荷など、総合的に対象の自動車が「本当にエコなのか」を推し量る物差しと言えるだろう。

●ところで、自動車に関心の薄い一般消費者にとっては意外かも知れないが、走行時にCO2排出量の少ないハイブリッド車は実のところ当初、工業製品としての環境性能はそれほど高い訳ではなかった。
つまり今は量産効果が上がって環境性能が大幅に向上、少なくとも日本では代表的な省エネルギー車とされているハイブリッド車だが国際感覚上では、あくまでも燃料電池車登場までの単なる「中継ぎ」と考えられていたのである。

〜安全性と相思相愛のハイブリッド技術〜
●しかし今やハイブリッド車は、中期的な本命技術として捉えられるほどウエル・ツー・ホイール性能を上げている。そもそもの欠点だったパワー不足も今やどこ吹く風で、厳しい生き残り競争が求められる国内GTレースでトップを快走する実績も上げ始めているほどだ。

●また昨今は、クルマの速度や周囲の渋滞情報などを発信、他車と情報交換して渋滞回避行う一方で、地域サービスやエンターテインメント情報を入手可能なテレマティクス機能の搭載。
さらに「安全性や快適性の向上」という意味においても、衝突を未然に防いだり、障害物を検知したりする技術がハイブリッド車の追い風になりつつある。

●というのは自動車メーカーとして、こうしたアクティブセーフティー技術向上は競争力強化の重要な柱に据えているためで、電子化技術の自動車への搭載は増える一方だからだ。
このため特に電動装備や通信機器が数多く搭載されることになる高級乗用車では、標準搭載のバッテリー容量はもはや限界を迎えている。
そこで新型車開発につきまとう慢性的な電力供給不足を、ハイブリッド化で改善するクルマ造りが自動車メーカー各社で急加速中。それにより「ハイブリッド車がこれまで以上に増殖するのでは?」という見方が、業界筋では強まってきているようである。

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2007/08/26

夢見たクルマ社会はやって来ない?

〜日本の交通環境が危ない〜
●食品業界にも打撃を与えるほど記録的な猛暑となった2007年の夏休みがやっと終盤を迎えている。
世間では家庭サービスや帰省など、クルマを積極的使う機会が一段落つき「お疲れモードが未だ抜けきらない」。そんなサンデードライバーの方々が沢山おいでのことと思う。

●さてこの機会にひとつ、想いを馳せて欲しいことがある。
それは日本の自動車輸送環境が、現行システム上で「危機的な臨界点を迎えている」こと。そしてそれは未来の「国内経済活動へ大きな影を落としていく」ということ。さらには、エンスージァストたちが「クルマを愉しもうとする環境にも今後、影響を及ぼす」ことになるという可能性にである。

〜異常なトラック輸送への依存率〜
●例えば、社団法人日本物流団体連合会によると、日本国内の物流総量は5,445,574,000トン。そのなかで鉄道や船舶などトラック輸送外が受け持つ総量はわずか8,9パーセントしかない

●これは、BtoBやBtoCなどの事業物流だけなく、CtoCの典型となる宅配便の総量が大きく増えていることも、その一因となっている。
一方で、少子化によってトラック輸送を担うドライバーが減少の一途を辿っているだけなく、その労働環境の過酷さは、もはや人間の働く環境という意味でとうに限界を超えている。

〜塩漬けにされたイノベーション〜
●けれど日本政府がこうした事態にまったく無関心であったという訳ではない。
筆者が知る限り、日本のトラック輸送の逼迫を懸念し、トラック郵送と鉄道輸送の融合を目指す「モーダルシフト」など、新しいイノベーションへの意欲が語られ始めてから、実はかれこれ20年以上は経っている。

●ただバブル崩壊以降、あらゆる市場環境が厳しい優勝劣敗の構図に組み入れられ、日々エスカレートしていく事業効率や消費者要求に、物流市場がひたすら応えていくなかで、車両積み込み貨物装置の規格統合や手間がコスト上昇要因として嫌われ、未来を担うべきビジョンやイノベーションは永らく塩漬けにされてきた。

〜停滞する日本、進化する欧州〜
●一方、日本では遅々として進まない貨物輸送と鉄道・船舶の融合は、貨物物流を経済活動という切り口だけなく、環境問題として捉えてきた欧州では急速に進化を見せ、トラック車両を貨物列車に丸ごと積み込む「ローリングハイウェイシステム」と呼ぶ輸送手段すら、早くも一般化しつつある。

●このローリングハイウェイというのは、地方都市駅間など特定区間を列車で移動してしまうことで、搭載貨物量あたりのCO2排出量の大幅激減を実現する仕組みで、さらに鉄道区間ではドライバーの労働環境が大きく改善されるという副産物も生んでいる。

〜もはや限界に達したトラックの大型化〜
●ちなみに鉄道輸送におけるCO2排出量鉄道輸送におけるCO2排出量はトラック輸送の8分1であり、また幾らトラック車両が大型化したとしても一挙に60トン以上の貨物が牽引できる鉄道輸送システムのアドバンテージは大変大きい。

●そもそも日本国内においては、大して大型化していないトラック車両だが、例えば東京・首都高速道路は1970年代の設計基準が基礎となっており、際限なく大型車両の通過を許すだけのキャパシティは持ち合わせていない。

〜貨物輸送が自家用車の利用を制限〜
●私たち消費者は宅配便の運ばれる手段について、到着の早さなどの利便性に対する拘りと同じく、そろそろCO2の排出量による輸送手段の選択にも注目した方がイイ。
つまりそれは「より早く」だけなく、より「環境に優しい輸送スタイルを選ぶ」という新たな選択肢をつけ加えるということである。

●ドアtoドアへという利便さだけに拘る余り、交通環境をこれ以上悪化させることは、日常生活上でのクルマ利用の便利さを、ナンバー末尾による運転日の制限などを含め、早晩大きく制約を加えることにつながるだろう。

〜物流超特急という先進構想はどこに〜
●そもそも日本は1960年代終盤に、新幹線という当時の世界で存在しなかった未来型輸送手段を完成させるという快挙を実現している国だ。しかもその新幹線構想には本来、貨物新幹線という別構想も含まれていたと聞く。

●かつての中世日本で、物流の主力だった船舶輸送も含め、日本にはこの国に相応しい貨物輸送のかたちがあるハズだ。
美しい日本に相応しい日本の物流かたち。それは明治時代以降、ひたすら欧米からのキャッチアップを目指してきた日本が、新しいジャパニーズスタンダードを確立するというスタンスを、世界に向けて発信していくことに他ならないと思うのだ。

〜夢見たクルマ社会はやって来ない〜 
●今年からリニューアル開催される東京モーターショーは、トラックを筆頭とする商用車と、華やかな乗用車中心のイベントとの隔年開催を統合。自動車全域の世界を一望できるものとなった。
この夏から秋に向けて、自動車の未来に夢を馳せる際、幕張メッセで「カーデザインや新技術を見る」ということの他、我々自動車を取り巻く世界を広く眺め、より伸びやかにクルマを愉しめる世界とはどんなものなのか。

●かつて少年の頃夢見た未来が未だやってきてないと思える今だからこと、クルマ社会の未来像を私たちは造っていかなければならない。「自動車を愉しむこと」、「あなたが暮らしのなかで理想に思えるクルマを触れること」、それが明日にもやってくる近未来のクルマ社会を創造していくことになるのだから。

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2007/02/13

豊かなライフスタイルは自動車を「保有」することにあらず

●オリックス自動車は、カーシェアリング事業を展開する子会社「シーイーブイシェアリング」を、来る4月1日付で統合する
オリックスグループは、これまで首都圏名古屋で、カーシェアリング事業を積極的に展開してきた。
例えば東京都大田区では、カーシェアリングと連携したモデル店を中心に、半径1キロメートル以内に複数のカーシェアリングステーションを配置するなど、ビジネス機会の拡大に向けて余念がない。

●ただ日本の自動車市場では、長時間利用を主目的とするレンタカー需要がどうしても優勢であること。またそもそも日本では、自動車を「自家保有するもの」と認識している層が主流であることから、カーシェアリングを受け入れる環境創りがなかなか進まない。
そこで同社は自社レンタカー事業と組み合わせて運用する方が「より高いシナジー効果を生む」と判断したようだ。

●考えてみれば、自動車という乗り物は「快適な移出来る自由を実現したい」と願う人たちの夢を叶え、日本経済の拡大にも大きく貢献した。一方で騒音や気候変動など深刻な副作用も生んでいる
しかし狭い国土に住む我々日本人は、家の玄関先からいつでもどこへでも好き勝手に移動できること。さらに高度なトラック配送網の恩恵を受け、地球の裏側の生鮮物でも何でも、食べたいもの、欲しいものがあればすぐに手に入る。そんな今日の自動車交通システムの恩恵自体を素直に認めざる得ない。

●自動車メーカーも、「まだ世界で70パーセントの人々が自動車の恩恵に浴していない」と言い、自動車産業は全人類の要請に応える社命があるという。
しかし一方でそうした自動車産業は、1970年代に「石油の枯渇」というテーマを投げかけられて以降、早40年を迎えており、これまでとは違う形の新しい自動車社会の姿を創造するという厳しい命題が課せられていることも忘れてはならない。

●かつて日本は、1950年代半ばから1970年代後半まで、平均経済成長率10パーセントと1973年に第一次石油危機が起こるまでの間、欧米先進国のキャッチアップに全力を傾け、20世紀終盤には世界が驚嘆する経済発達を成し遂げた。
しかし循環型社会の到来を迎えた今日、世界人口中、日本を含む20パーセントの先進国が世界の全生産エネルギーの約80パーセントを消費しており、日本の自動車産業に関わるあらゆるステークホルダーは、未来への影響の大きさを改めて自覚しなければならない。

●自動車は一握りのエンスージァストにとっては生涯の伴侶だが、そうした自動車がもたらす便利さを21世紀を迎えた今日、盲目的に万能視してはならないと思う。
社会的立場で自動車を使い・関わる立場は、同じ人でもその場面毎でサービスの提供者になったり、受給者になったり、場合によっては加害者や被害者にもなる。
目下、日本全土に於ける四輪自動車台数は80,000万台余りに迫り、自家用車だけでも5,500万台に上る。しかし都市部を中核に数多くの自家用車は年間走行距離は3,000km以下というケースも決して珍しくない。

●そうした中で、豊かな暮らしの象徴が自宅駐車場に置いたままの高級自家用車なのか。
はたまた自分のライフスタイルに合わせ、移動手段を選べる自由の方にあるのか。そんな独自の生き方や暮らし方を考え、いよいよ実践していく時期に来ている。
今日までの日本は、経済価値優先の考え方で覆われてきたが、経済価値はそれを生むために人が使われるのではなく、人のために経済があり、社会があるということを決して見失ってはならない。そしてその恩恵は社会を循環した後、再び人に対してもたらされなければならないのだ。

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2005/07/22

クルマの次世代動力源問題「環境」の御旗下でさらに加速

●経産省が、バイオエタノールを混合した次世代ガソリンを、来る2008年から国内のガソリンスタンドで販売させる意向だ。
混入されるエタノールは、当面サトウキビ原料由来のブラジル産を輸入する見込み。具体的な混合比は7%程度を想定しているという。

●この民生利用のバイオエタノール混合ガソリン使用に関しては、日本の関連各省庁において様々な検討実績が過去に山積しており、環境省の検討委員会では、すでに国内自動車メーカー各社に向け、海外でのバイオエタノール混合燃料の利用実績を踏まえ、新車に対するE10ことエタノール10%混合ガソリンへの迅速な対応を求めていた。

●これは既存のガソリンエンジンでは、エタノール混合燃料の使用でNOxなど排ガス中の有害濃度が大きく増加される可能性があるからだ。
しかし京都議定書の批准を迫られる中、生物原料から生まれるエタノール混合燃料の利用はエタノールを混入させた分が議定書の規制対象外となることから、温室効果ガス削減を何としても推進しなければならない日本政府にとっては切実な問題となっている。

●海の向こうでのバイオエタノール混合燃料の導入実関では、生物原料系燃料活用の優等生であるブラジルを筆頭に米国、欧州、中国において自動車燃料としての活用実績がある。
ただ混入されるエタノール濃度が高いと、自動車の燃料系部品を腐食させることもある。このため日本では、欧州で実績を獲ているイソブテンとエタノールの合成化学物質「ETBE」ことエチル・ターシャリー・ブチル・エーテルを使う見込みだ。

●ユーザーの立場から見ると、こうした自動車燃料やエンジンに関わる微妙な話題は、現在使用中の愛車が一体「何時まで使用できるのか」を思い巡らせる事柄となるが、一部の旧車系エンスージアストを除き、現車両の立場を急激に揺るがす事態にはならないだろう。

●ただ自動車エンジンに関しては、1769年にフランス人のキョニヨが自動車という乗り物を発明して以来、様々なユニットが登場して消えるという変遷を繰り返してきた。
特に18世紀から19世紀にかけて盛んに繰り広げられた自動車の発明競争において、当時の技術者たちが夢見た理想のエンジンは、決して化石燃料を使う内燃機関とは限らず、蒸気動力や電動モーターなど多彩なシステムが試されている。

●ここで歴史を紐解くと、例えば日本初の純国産自動車は蒸気が動力源であったし、20世紀に入ったばかりの米国内では、現在のようなバイオマス燃料の普及を考えた時期すらある。
しかし1885年にベンツがガソリンエンジン搭載車のかたちを確立。1903年にフォードがガソリン自動車の大量生産体制を固めて以降、自動車といえばガソリンエンジンが主流となった。そして自動車は、それまで農耕中心・地域経済主導だった人々のくらしを、都市型経済主導へと大きく突き動かしていく原動力となったのである。

●ちなみにこの間にはボディ構成素材にも時代の変遷が起きている。
当初、自動車の骨格は加工のし易さから天然木が使われ、20世紀初頭にエドワード・ゴーエン・ブッドが鉄板プレス機を発明して以降、鋼板ボディが主流になっている。
さらに日本の神戸製鋼が量産化を実現した薄く軽量な「張高力鋼板」全盛の近代を経て、ジュラルミン・ポリマー・炭素素材。加えて環境対応の見地から、近頃ではケナフなどの植物系由来の素材が自動車ボディの構成部材として復活しつつある。

●また先の動力源では石油の枯渇や環境汚染から回避を求め、水素から動力を取り出す燃料電池の時代が始まっているのはすでにご承知の通りだ。ただ化石燃料ベースの内燃機関と燃料電池は開発環境の源泉が大きく異なる。
もはや電子デバイスを持たないF1マシーンが成り立たなくなった今日。燃料電池を中心としたエレクトロニクス技術をどのメーカーがモノにするのか。未来に向けてそれは、自動車業界の主導権を占う重要な試金石でもある。

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2005/07/15

カーテレマティクスが創る未来社会とビジネスチャンス

●日産ディーゼル工業とコマツが、商用車向けテレマティクス事業での提携を発表した。これはコマツが開発した「コムトラックス」という建設機械用テレマティクスを基礎に、商用車向けのシステム開発を推進していくというもの。日産ディーゼル工業は、これを2006年度中に商品化し、国内販売していく日産ディーゼル工業のトラック全車種で標準採用する見込み。初年度の販売計画は1万台という。
このテレマティクスというのは「telecommunication(通信)」と「infomatics(情報科学)」を組み合わせた造語だ。自動車向けの次世代情報提供サービスとしてはカーテレマティクスとして世の中では通っており、一般には「クルマ版Iモード」というと分かり易いかもしれない。

●ただし携帯電話のコンテンツサービスは、無限に広がるインターネットとは隔離された世界だ。対してカーテレマティクスの場合は、インターネットを通してメールやオンラインゲームを愉しむだけでなく、天気予報、映画観賞、グルメ情報、宿泊情報など広くクルマを取り巻く周辺環境を大きく解放していこうとする目的がある。
目下カーナビに関わるコンテンツ企業は、この新サービスに関わるインターフェイスを鋭意積極開発しているし、自動車メーカー各社ではテレマティクスを顧客囲い込みの切り札に使うべく着々と準備を進めている。

●それはTAS(テレマティクス・アプリケーション・サーバー)で、顧客のクルマをモニタリングしてトラブル手配を担うというものだ。
ちなみにトヨタがテレマティクス展開を行う「G-BOOK」対応の情報端末は、パソコンとの間でもデータを受渡しできるほか、コンビニのマルチメディア端末との間でもデータのやり取りも可能にしていく。
これは将来、無線通信網を使うことで故障時の自動通報や消耗品部品の交換を促すなど、新ビジネスチャンスの原資となる。先のG-BOOKや日産のカーウイングスは、こうしたサービスを展開するためのインフラ網という訳だ。

●これを逆に捉えるとテレマティクス展開というのは、既存のカーディーラーを介したビジネスモデルのなかで、消費者が見えなくなってしまった自動車メーカーのあせりだと捉えることもできる。
かつて自動車は「持つこと」そのものに夢馳せることのできる商材だったはずなのだが、もはや自動車に対するカーユーザーの認識や会社を取り巻く環境は大きく変わってしまった。
自動車もいずれはPCなどの耐久消費財と同じく、それを使って何を生み出すか、どんなビジネスチャンスを生むのかを模索するマーケティング商材のひとつとなってしまうのだろう。

●近年、カーディーラー各社では車両販売の新しいかたちとして、個人リースを積極的に推進しているが、そのうちカーユーザーの自動車に対する捉え方から「所有する」という概念が消失してしまうかも知れない。
そうなれば自動車メーカー自らが中古車流通に注力している現在の努力も、リース期間終了地の中古車マーケット確保という面で大きく実を結ぶことになる。また誰もが新車をリースで導入するということになれば、今後、車両の価格高騰はさらに加速される可能性もある。

●一方、商用車向けのテレマティクス網は、車両を所有している事業者に大きなビジネスチャンスをもたらす可能性がある。それは今のところCD-ROMやDVDディスクから地図情報を読み出すだけのカーナビなどの車載端末が双方向通信の機能を持つことになるからだ。
そしてそれは2000年から2015年頃までを4フェーズに分けて進められてきた政府のITS計画と融合することを意味する。なかでもITS計画の第3フェーズは、車載カメラやセンサーから情報を収集。出会い頭の衝突防止、カーブの速度超過、車線逸脱を戻すなど夢の自動運転を実現するためのインフラ整備を担っているからだ。

●この仕組みを支える道路はスマートウェイと呼ばれ、路面に自動車との通信を行なう通信機器が光ファイバー通信網を介して組み込まれる見込みだ。日本ではすでに1996年、開通前の上信越自動車道走行実験が成功している。
当然、対象となる車両もこのシステムにあわせて、多数のセンサーを搭載することになるのだが、そうした輸送車両はいわば全国各地を移動する「情報収集機」でもある。このことから輸送車両が日本全土の渋滞や積雪・冠水、路面補修の必要性などを集約。ネットワークを介して情報を発信するビジネスが生まれるのではないかと考えている。

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「ヒトの感性に訴える!」そんな次世代テクノロジーの覇権は誰の手に?

●日本と同じく米国でもガソリン価格が高騰している
目下、米国におけるガソリンの小売価格は、レギュラータイプで1ガロン平均2ドル31セントと、この7月に入ってから10セント近く高騰した。この高値は米国でも過去最高額である。

●そんな中、電力使用を筆頭にエネルギー消費には、比較的大らかだった同国民もさすがにこれを深刻に受け止めたようだ。
特に年間所得300万円前後の一般庶民層は、財布からの支出を大幅に抑制しつつあるという。

●そんな訳だから、トヨタプリウスの駆動用バッテリーを大型にし、モーターによる走行モードを時速55kmにまで引き上げた「Prius+(プリウス・プラス)」を公開した米国の非営利団体「CalCars」の試みは、タイムリーな話題として現地メディアでも積極的に取り上げられた。

●しかし思えば大昔のことだが、かつて低公害車の投入で米国の話題をさらったクルマはホンダのシピックだった。きっとこのことを覚えている団塊の世代は多いことと思う。
遙か1972年にCVCCエンジンを発表し、低公害車テクノロジーの先駆となったはずのホンダは、この21世紀を迎えてからはトヨタの後塵を浴び続け、今や米国で低公害車といえばプリウスの寡占状態にある。

●もちろんホンダもその間眠っていた訳でない。1999年7月の広報資料では、現行シビック搭載のIntelligent Motor Assistこと「IMA」と同一線上にあるパラレルハイブリッドの技術を紹介している。
エンジンとモーターの回転数を自在に独立制御するヨタの「THS II」に対し、モーターをエンジンに直結させたシンプルな構造を貫くその姿勢は、エンジンを主役に据えたホンダスピリットを良く表現しているようにも見える。

●大西洋を超えた英国で、このホンダの試みは好評を得ている。2003年にはHonda Civic IMAが、EcoFleet、Fleet Week、Fleet Managementの読者投票で「EcoFleet Car of the Year」を受賞。そして7月5日に発表された第3ステージのIMAは再び伝統のシビックに搭載され、この日本の地でも今秋にはお目見えする予定だ。

●そんな第3世代ユニットでは、走行状況別に低・高速回転+エンジン抵抗を3分の1にするエンジン休止モードをバルブ制御で駆使する格好になる見込み。
モーターユニットの減速エネルギー回生量は従来比10%UP、ユニットそのものも1.5倍となる。気になる動力特性はエンジン出力のナチュラル感が命だ。

●個々の動力ユニットの役割は「発進加速が低回転エンジン+モーター」「急加速時は高回転エンジン走行+モーター」「高速クルーズ時はエンジンによる低回転走行」「減速時にはエンジン全気筒休止+モーター回生」となる。
とは言ってもプリウスのようにエンジンは完全停止しない。モーターとエンジンが直結されているから、全気筒休止時にはモーターがエンジンを空転させる。ドライバーがエンジンブレーキと感じる減速感覚はエネルギー回生の抵抗感という訳だ。

●これまで化石燃料の台頭と共に発展してきたクルマの動力源だが、今後はその役割をどのような形でモーターに譲っていくのか。またその新しい動力はどのようにしてエンジンの出力特性を受け継いでいくのか。レクサスでエンジンの存在を消し去ることには成功したトヨタだが、むしろヒトに訴求していく運転感覚では下位メーカーに先んじられている。

●今やあのF-1ですらエネルギー回生を目的とするブレーキシステムの導入に関心を持つとされる時代だが、そんなエレクトロニクスを背景とした舞台において、新しい運転感覚の模索と動力フィーリングを求めていくイニシアチブ競争が、世界の自動車メーカー間で激しく繰り広げられていくことになりそうだ。

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2005/07/01

日本の燃料電池車、世界に先駆け米国で個人リース開始!

●米国ホンダが、自社のWebサイト上で、燃料電池車 FCXの一般市民向け個人リースを開始したと発表している。

●燃料電池車を世界初の自家用車として自宅に迎えた何ともうらやましい方は、カリフォルニア州在住の一般家庭なんだそうだが、実のところもっとうらやましいのはその契約料金。なんと月あたり500ドルと超破格なのだ。ちなみに米国ホンダでは、2002年12月からロサンゼルス市へ燃料電池車のリースを行っている。

●一方先般ミシュランが開催し、筆者もおっとり刀で参加した「ビバンダム・フォーラム&ラリー」で、かつて京都議定書が決議された京都国際会館から、長久手の愛・地球博会場までのラリーコースで沢山の燃料電池車が参加したほど、燃料電池車先進国なハズの日本。しかし現状ではトヨタがこの7月から政府機関向けにようやく燃料電池車のリースを開始するという状態。しかもその料金は月105万円と米国の個人リースとは比較にならないほど高い。

●そうした燃料電池車といえば懸案のCO2削減がある。日本ではいよいよ達成が怪しくなってきた京都議定書の割り当て数値目標のクリアを目指し、政府や各省庁、東京都など自治体。企業活動でもようやくエンジンが掛かり始めたところ。しかし欧州でCO2削減の立役者となりつつあるディーゼルエンジンへの強いアレルギーを取り除くことなど、今後の国民意識の変化が日本ではCO2削減の鍵を握るだろう。

●ちなみに昨今は「クールビズ」という言葉を筆頭に、環境庁が黒子になって打ち出した「チーム・マイナス6%」が爆発的な成功をおさめつつある。日本人は割とブームに乗り易い国民性なだけに、こうしたプロモーション活動が果たす役割は大きいが一連の環境活動が、自動車を取り巻く旧い認識や価値観を大きく変えてくれることを期待している。

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2005/01/05

自動車メーカーの手綱を握る消費者たち

●前回EVをテーマにしたのには理由がある。実は今、世界のエネルギー業界では「オイル・ピーク(Oil Peak)」という言葉が流行っている。これは2015年前後に世界の石油生産量が最高値を迎えるという予測だ。
それがどうして問題なのかと云うと、油田開発で石油埋蔵量のピークを超えてしまうと、今度は残り少ない残量を採掘するため、より多くの採掘コストが必要になるからである。

●ちなみに経済産業省のエネルギー統計によると、地球全域で残されている原油採掘年数は40年余りであるという。しかしこれはあと40年間採掘可能ということでない。年数を経れば石油採掘は加速度的に難くなる。
そして年々採掘が難しくなると石油価格は確実に高騰する。それがひいては石油資源にどつぷり安住している日本社会の行き詰まりを意味する。

●実際、現時点でも中国経済の拡大で、樹脂原料であるナフサの高騰が続いている。今後さらに石油が高騰すれば私たちの生活は激変するだろう。
ゆえに原油を非効率に使う今の自動車のかたちはあと20年もすれば絶滅する。現時点でトラック輸送に依存している国内経済は、輸送コストの高騰で全国津々浦々から生鮮品を取り寄せられなくなる。

●またもうひとつの変化は、1940年代に生まれた「団塊の世代」が、来る2007年頃一気に定年を迎えることにある。これによって社会システムや労働市場だけなく、企業運営そのものに大きな問題が出ると云われている。

●しかしこちらの変化は、確実に減っていく石油埋蔵量とは違って楽観的な見方も可能だ。
そもそも団塊世代は、学生の頃のベトナム反戦運動を経て、日本の高度成長を牽引し、バブル崩壊も経験した。そんな彼らは今、ひたすら先を急ぐだけの社会を見直しているよう見える。なかには自然回帰の流れから田舎暮らしを望み、農業を営むことによる自給自足の暮らしを始める向きも増えている。

●一方、日本の企業社会は、労働環境から退陣しようとしている彼らに新しい消費行動を促し、そこから何とか利益を得るべく様々な画策をしている。実際、その数の影響力から、団塊世代は未来の日本をどの方向に導くのか。その舵取りに関して大きな鍵を握っているといえるだろう。

●これまで団塊世代は、空前の軽自動車ブームを体験した後、多彩なクルマを経て高級乗用車へと乗り継いできた。そんな彼らが新たな21世紀においてどんなクルマを選択するのか。それは自動車メーカーの企業構想や将来をも左右する大きな分岐点になると思っている。

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