2009/05/03

クルマ社会をリセットせよ !

〜付け焼き刃の政府施策は長続きしない〜
●輝かしい20世紀後半を築き上げ、一貫して日本の経済拡大を続けていくための源泉となった我が国の工業技術。その核となる先端領域は今も国内に温存されている。
対して、その技術を製品化するためノウハウを貯め込んでいかなければならない良質な労働力は、21世紀となった今日、製造工場の海外拡散が急速に進んだことから、もはや日本だけのお家芸と言えなくなってきている。

●またこの間、モノ造りの一端を担ってきた自動車産業は、バブル期以降の社会環境に迎合できないまま、まるで古生代の恐竜のような衰退期を迎えつつある。
一方で政治は、二大政党制を巡る陣取りゲームに終始。しばらく自動車業界の衰退を他人事のように眺めていたが、政府また行政としてようやく、昨年秋の国際金融危機を契機に「エコカー減税」「購入助成」「スクラップインセンティブ」といった緊急措置を打ち出し、マスコミも経済界も日夜、これに需要回復の期待を込めている。

〜生活者は「消費者」という名では括れない〜
●けれども、そもそも「クルマを保有することへの魅力」をここまで失墜させたのは、その日本政府自らが行ってきた諸制度の結果であり、かつ、マスコミや経済界がこの国に地に足をつけて暮らす生活者を勝手に「消費者」という名前に呼び変え、ひたすら購買行動をあおった直近の20年間に筆者は大きな元凶があるように思えてならない。

●今更、「若者のクルマ離れ」を自動車マーケットの低迷原因にあげつらう自動車メーカーの経営者や評論家も悲しいかな未だ多い。
しかし例えば出版業界において、自動車を題材する書籍や雑誌媒体の低迷は今に始まったことではなく、2000年頃から顕在化してきていた。
自動車メーカー各社の広報部門もそれを充分承知しており、自社製品の広告出向先を自動車専門誌から、対象外のファッション誌や情報誌にシフトしていたから、それは明白である。

〜離れてしまった自動車メーカーとユーザーの意識〜
●つまり「市場変化の速さ」や「若者の車離れ」といった要素はバブル崩壊後、早くもその予兆が見え隠れしていたのである。
にも関わらず、1990年代後半から日本の自動車メーカー各社はプレミアムカーを介して車両価格一台あたりの利益拡大に奔走し、市場の変化に気付かないふりをし、足元の原因分析を積極的に行わず、目の前ぶら下がっていたはずの課題に永らくフタをしてきたのである。
結局それは、本来はとうの昔に取り組まねばならなかった宿題を未解決のまま放置してきた訳であり、金融業界や食品業界において、日本国内で発生した問題の元凶とそれほど大差がない。

●自動車メーカートップが、これに対して思い当たる向きは多いはず。
というより日本の経営者たちが愚かではないことを信じて、そうであって欲しいと願っている。
実のところすでに21世紀を迎える前の段階で、自動車業界はこれまでの商慣習も含め、社会への関わり方や考え方を大きく変えなければならなかったし、日本で暮らす生活者の意識は、それらに先駆けて自動車メーカー各社の思惑とは違う方向に舵を切り始めていた。

〜我々が持つ自動車の概念を見直すべき〜
●そうした現実は、過去の数字を見ても明らかだ。昨年2008年度の新車販売台数は、遂に480万台と500万台の大台を大きく割り込んだ。
もはやこの数字が500万を超えることがないことは自動車メーカー各社も充分承知していることと思う。
というのはこの流れは何も2008年になってから始まった訳ではないからだ。国内の自動車マーケットにおける登録車台数の現象は2000年を迎えて以降、右肩上がりの登録台数をしばしば割り込むという断続的なサインが発生していたのであるから。

●2000年以降、ゆるかやな市場低迷が進行していたことから、もはや国内市場の衰退は、短期かつ即効的な「エコカー減税」や「購入補助」「スクラップインセンティブ」などという付け焼き刃の政府施策ではどうにもならない。
昭和から平成に至る間に日本人が、人間社会が、育んできた自動車パッケージの概念自体が、もはや終わっているのだ。
特に都市部や長距離移動において、他の公共交通機関と激しく競合するゆえに、一般的な乗用車一台あたり乗車定員が5人乗りや4人乗りでなければならない理由はどこにもないし、現在の車両寸法の規定が、この先の世の中でも永続的にまかり通るとは思えない。

〜大切なのはクルマ造りの思想を見極めていくこと〜
●クルマを持つことに対する魅力とは、「いつでも好きなときに好きなところへ行けること」。それが自動車と呼ばれる乗り物の核心であり醍醐味であるはず。
それについて「保有する・しない」の概念はまったく関係ないし、生活を便利にするたるの単なる移動ツールでしかない乗り物の存在自体が「乗る人の付加価値を押し上げる」という概念も前時代的な考えである。

●これに薄々気付いたトヨタは、極端な低コスト思想を背景に、比較的安上がりな投資環境でも自動車造りをおこなえるようIQを造ったと筆者は考えている。
同車は腰下や操舵などの構造から見て、カー・オブ・ザ・イヤーカーで「全長3m弱というミニマムなボディに、4人乗りを可能としたパッケージング&デザイン。さらに9エアバッグを装備し、高い安全性と環境への配慮もバランスよく実現した“革新的”なFF車である 」という受賞理由。またトヨタ自身が言う「トヨタクオリティを凝縮した」という切り口より、安普請という意味ではないがインドのTata Groupが造るnanoの思想に近い乗り物であろう。

●同じような実車の話題でもうひとつ、先のエコカー減税の先頭に立ち、昨今マスコミ報道で何度も取り上げられているホンダのインサイト
同車はプリウスとよく比較されているようだが、この両車は「ハイブリット形態の動力源を持つ」という共通要素はあるものの、あくまでもガソリンエンジンの補助としてモーターを付けたインサイトと、トヨタのそれとは車両開発の思想がまったく異なる。
本来、両車を車両購入の天秤に掛けることそのものが本当はナンセンスなほど、車両の設計思想は違う。

〜時代に合わなくなった政府制度と施策〜
●上記のように、今は車両開発の出発点となる思想を新たにしたクルマが日本国内の市場には沢山あるのだが、最終的にマーケットに送り出される個々の完成車両そのものは、既存の自動車のかたちやサイズなどの枠内にとどまってしまっている。その理由は、単に政府の既存税制等の規制枠に縛られているからに過ぎない。

●例えば今は一般に自家用車と俗称される分野で、「普通車」と「軽自動車」という呼び方が存在しているが、もはやこうしたジャンル分けでは、今の時代の生きる生活者に訴求できる乗り物は絶対にできないし、若者に迎え入れられる新しいクルマも今の自動車の延長線上では決して誕生しない。自動車を巡る諸制度、諸施策はもう時代に合っていないのだ。

●ゆえに日本政府は、急場しのぎの施策を数多く打ち出すよりもこの新しい時代に向き合って、どういった乗り物を国民が求められているのかを根本的に問うべきだ。
またそこには自国に技術基盤を持つ自動車産業にしていくという哲学も併せて持って欲しい。

●ちなみにこれは国々の垣根を乗り越える「グローバル環境を否定せよ」、「鎖国せよ」、ということでない。
しかし世の中が一層グローバル化するなか、新たな観点として「グローカル」という言葉が語られる昨今である。国内に独自の基盤を持たないマーケットや産業はいずれ衰退する。それは火を見るより明らかなことである。

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2009/03/23

次なる100年目への胎動が始まる

〜自動車業界がようやくITを語り始めた〜

●テレマティクスなどを利用し、クルマと外界をつなぐ高度道路交通システム。またクルマそのものの制御回路を無線化するバイワイヤ技術。
実は自動車業界において、ハードウエアと情報技術との融合に取り組んできた歴史は意外に旧く、1980年代からのASV(AdvancedSafetyVehicle)構想など、他の工業製品に先駆けて語られてきた。

●それから30年余りが経った今日。世界の自動車メーカーは「夢のクルマ造り」よりも、その間、事業体制の国際化に伴う激しいマーケットシェア争奪戦を繰り広げてきた経緯から、クルマの劇的な進化を心待ちにしていたオーナードライバーたちは、PCの世界で大きく進化を見せた情報技術の影響を、クルマ社会ではあまり実感できないまま新世紀を迎えている。

〜クルマが基幹システムにOSを求め始めた〜

●その流れに新たな変化が訪れたのは、昨年初頭から始まった原油価格の高騰と、それを追いかけるように同年晩秋にやってきた米国発の金融クライシスである。
これをきっかけに、日本ではPlug-inHybridCar(PHEV)の実用化に拍車が掛かり、米国ではPHEV開発を一気に飛び越えて、Electric Vehicleの製品化を推し進める構えだ。これにより、ようやくクルマの世界にも、自動車全域の統合制御を可能とする本格的なOperatingSystem(OS)を求める時代がやってきた。

●現実には、現行車1台あたりにおいても、ワイパー機能やブレーキアシスト機能、IDチップのコード照会を行うイモビライザ機能、エアバック等の走行制御や、現在の自動車では心臓部にあたるエンジン制御など、様々な機能領域でマイクロプロセッサと入出力モジュールで組み立てられたElectronicControlUnit(ECU)と呼ばれる制御用コンピュータが組み込まれている。
しかし今後はクルマの運動性能や環境性能、安全性能の実現。さらに、より低環境負荷へ貢献できる動力システムを実現するため、近未来のクルマでは1台あたり100個を優に超えるECUの搭載が必要になると言われている。

〜もはやガソリンだけでクルマは走らない〜

●このように1台のクルマに多くのECUが搭載していくようになると、ひとつの動作だけでも複数のECU間を協調制御していく必要が出てくる。つまり自動車全体のシステムをより複雑かつ統合的に制御していけるOSの存在が必要不可欠になるのである。
加えてECUそのものの数が加速度的に増えていくということは、製造コストやそもそもECU自体の設置スペース上の問題も発生する。したがって複数の機能をひとつのECUで実現していくことも確実に求められるようになるだろう。

●特にクルマは、天候や乗車定員、速度や走行部品の摩耗など、走行条件が複雑かつ場当たり的に変化するため、実走行データに臨機応変に対応していけるソフトウェアプログラムの高い柔軟性が欠かせない。
また今後、自動車開発は旅行や買い物など、乗車1回あたりの走行距離の違いや利用ニーズの多様化に伴い、多品種・少量生産対応が車両開発および販売のマストスタイルになってきているため、組み込み部品の変更や、プログラムの置き換え上、優位かつ容易なOSの利用は避けては通れない。

〜プログラムがクルマ社会を変える時代に〜

●思えば自動車創世記の1800年代には、クルマの適切な動力源として、蒸気や電気など様々なパワーユニットが試され、その結果、1886年にドイツのKarlFriedrichBenzがガソリン自動車の開発に成功。それを追いかけるように米国のHenryFordが「Ford ModelT」の生産を開始(1908年)。以来、内燃機関をベースにした乗り物の歴史が幕を開けてから今年は丁度100年の節目を迎えている。

●クルマ社会は内燃機関をベースに、メカニズムのすり合わせ技術を育んだ時代から、電気を主動力としたプログラム技術が主役となる自動車の時代へと移るのか。2000年台という新たな世紀を迎えて8年目の今年。自動車技術の世界は、ここにきて大きな時代の変革期を迎えているのかも知れない。

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2008/11/15

自動車業界の閉塞感の源泉

〜米国での自動車生産体制の苦悩〜
●米国では、金融機関が抱える不良債権を「公的資金で買い取る」金融救済新法実施が加速している。
新法制定に伴う買い取り総額は、当面2年間で7000億ドルと伝えられているが、実際の総額では米国の1年分の軍事費に該当する1兆ドルを大きく超えるだろう。
ちなみに目下、米国が抱える財政赤字総高は約10兆ドルだが、公的資金投入など景気浮揚策にともなう投資でさらに赤字が膨らめば、国際通貨としての威信はさらに低下し、安定した資金を求める新興国や資源国が米国債の購入を差し控えることは確実で、いよいよドル急落のシナリオが現実味を帯び始めている。

●そんな米国では、当初、経済危機に伴い自動車などの「耐久消費財の購入意欲が削がれる」と考えた経済アナリストが多かった。
しかし実際にはクリスマス商戦に突入したのに関わらず、むしろ日常の衣料品など生活消費分野に対してさえ消費者の購買力が低迷。
同影響下でホンダは、北米におけるSUV等の生産計画を当初計画より9万台下方修正。トヨタも米ミシシッピ州で建設中の完成車工場の稼働を2011年以降に延期。日産自動車へボディパーツを供給しているプレス工業も、米国第2工場を年内に閉鎖する。等、日本の自動車メーカーの戦略は大きく軌道修正を強いられている。
ただし日本メーカー各社は自動車の現地生産体制を確立して久しく、米国内で一定の信頼と市民権を勝ち得ている。ゆえに将来の日本叩きを防ぐ意味合いからも、現実には安易に現地従業員の切り捨てには踏み切れそうにない。

〜大企業のエゴだけでは解決しない事柄〜
●ちなみにこのような生産台数減に伴う危機は、米国のみならず日本メーカー各社のお膝元でも起こっている。
「トヨタ九州」がある福岡県宮若市では、同社から得られる予定だった来年度の法人市民税が前年見込みの6億7千万円から300万円に急落しているし、トヨタ車体は「派遣労働者を期間従業員へ切り替え継続雇用する」という違法騒ぎが発生。全国各地でトヨタが推し進める期間従業員の契約継続の大量打ち切りは、マスコミでは全く報じられていないが、日本国民の労働環境を守るべき役割を担う厚生労働省ならびに対象地方の労働監督行政下において、大変な混乱を与えている。

●米国の場合は、企業経営者の自由を守るために労働者を守ることを放棄した法律体系を持ち、未だに世界の先進国の中で唯一の異端児を演じ続けている。
しかし日本の労働行政は、欧州を範にした本来の国際水準を遵守するスタンスであるから、労働インフラへの打撃を与える行為は、現実的にはトヨタ1社の考えだけではそうそう簡単には実行できない。
つまりこれまで米国が唱えてきた数多くのグローバルスタンダードは、いずれも米国のひとりよがりの一国主義の産物に過ぎず、これからは「米国追従」という眼鏡を掛けたままの単眼的視野では、日本が世界においてどのような立ち位置にあるかを判断すること、さらに国際社会に対して日本がどう対処していけば良いのか、自動車業界にとって何か正しく、何を成すべきかが一向に掴めずに終わるだろう。

〜自動車ファンは単眼的視野を捨てるべき〜
●こうしたことは、実のところあらゆる領域においても同様で、自動車技術動向も複眼的・多角的に時流を捉えていくことが重要だ。
例えば昨今の自動車エネルギーの環境下では、有機ハイドライドによる独自の水素貯蔵技術を持つ札幌のフレイン・エナジー社が、英プロセス・イノベーション・センターと水素インフラプロジェクトを共同推進する契約を締結。欧州における新エネルギーの供給体制に対して多大な貢献を行うべく開発準備を精力的に進めている。
一方、セグウェイ発明者のケーメン氏は、2000年に製造中止された電気自動車「Ford Think」をベースにリチウム電池とスターリングエンジンを搭載したHVを発表。これをノルウェーの会社が製品化に名乗りを上げている。さらに米SEMAショーでは、水を電気分解することで取り出した水素をガソリンと混燃させることで、燃費を15%〜33%向上させるツインターボエンジン搭載の450馬力スポーツカー「Scorpion」のお披露目が行われた
いずれも自動車メーカーが表立って主導する動きではないが、水素スタンドの設置体制すら見えず、未だ実用化にはほど遠い未来の燃料電池車に想いを馳せるより、これらのほうが、より具体的な明日を見据えたテクノロジーなのかも知れない。

●人に対する認識も同様で、単眼では過去のステレオタイプの認識を決して超えられない。
例えば、ここ数日、トヨタの奥田碩相談役の発言に対してマスコミの批判が集中している。しかしだからといってトヨタを刷新した彼の功績が色褪せる訳ではない。
また日産自動車を劇的なV字回復させたとマスコミに絶賛されたカルロス・ゴーン氏も、つまるところ技術的には米国流の減損会計を導入。日産自動車の財務管理上で徹底しただけであり、日産を知り尽くした前任者の塙義一氏が行えなかった日産の体質改善を実行に移した功績はたたえられるべきではあるが、企業立て直しのテクニックとして実際には特筆すべきものがあった訳ではない。
かつて米国ビジネスウイーク誌で優れた経営者のひとりとして選ばれた出井伸之氏は、なんと最近、同じ媒体で今度は世界のワースト経営者のひとりに選ばれている。
奥田氏もゴーン氏も出井氏も、人としてすべてにおいて優れた資質を持っている訳ではなく、極端に言ってしまえば経営者の立場で「その時やるべきことをやったまで」に過ぎない。

〜情報を選ぶこと・多角的に捉えること〜
●昨週はカー・オブ・ザ・イヤーで現時点で発売されていない意外なクルマが栄冠を獲得した。
こうしたアーワードついて筆者は数年前に日本国内の自動車アワードについて上稿したが、もはやマスコミからの情報が唯一無二の真実として語られた時代はとうに過ぎ去り、格式が売り物だった年に一度のアワードですら個々の消費者にとっては、今や断片的な情報のひとつに過ぎなくなった。
このような一方的なひとつの情報だけを真正面から受け止めているだけでは自動車業界の全体像が一向に見えていない。
マスコミの発信する情報に追従していけば安心という姿勢は、もはや不健全で格好悪いことなのだ。情報洪水のなかで屈せず自分の信念に従う方が、マスコミ報道に追従するよりも格好良いと、多くの自動車ファンが思い始めた。最近の自動車業界の閉塞感の源泉は、こうしたマスコミ主導環境の破綻にある。

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